会社員の服選び。時々スキー from TOKYO

中高年への極私的服選び+ライフスタイル提案blog

思わせ力①

最近の転職、現在の在宅勤務を経て、これからの仕事の在り方を考えていく上で、書き留めておきたい事があった。

服に時間とお金をかけて、情報や愚痴を発信して誰に何を伝えたいか?有意義なものか?自分の経験を要約してみた。

この数日で現在までの流れとこれからの事を書いていくつもりです。

 

今月で仙台から上京して4年が経過した。
働く環境も転職を含め随分変わった。結婚もし、服を含めて色々と価値観が変化した4年だった。仙台にいた頃、一番気に入っていたスーツはウインドウペンのフランネルのスーツだった。パターンオーダースーツで生地はREDA。当時、ファッション雑誌がウインドウペンを推していた時期だったと思う。

ストーンズのチャーリーワッツが着ていた写真を見て欲しくなった。

それまではスーツを作ろうなどとはあまり思った事はない。
強制的に着なければいけないスーツを中途半端な金額で量産品を買うなら+αの金額で作った方が良いと思ったから。ケチなりに出した回答。
参考に本を読もうと購入したのが「クラシコイタリア礼讃」他、落合正勝氏の著書だった。YOUTUBEでも繰り返し見て勉強した。

 

当時は30代の独身。
服は好きだが、仕事柄、老後資金を考える考え、自分に厳しく「お小遣制」で生活していた。市街地に出るのも週一度。単純にケチだった(これは今も)。

服は好きだが、ロック派生の服やジャケット+ジーンズのような綺麗目なファッションを愛用していた。ブランドは正直どうでもいい方だが、古着でブランド物が安くあれば買うという考えだった。ファッション雑誌には目を通すが、60~80年代のロックファッションがアイコン。いわゆるストリートファッションは毛嫌いしていたが、ドレスクロージングとも無縁。

 

そんな自分が「パターンオーダーを2着作る」という行為は年に数度の大出費。失敗はしたくなかった為、スーツの事を人生で一番学んだ時期かもしれない。
「パターンオーダーで一生モノ」なんて都合のいい話だが、最低10年は活躍してくれると信じたが、つい先日、股ズレの為、引退となった。

 

ノータック、着丈短めの上着、ワタリが細く、何よりも接着芯のパターンオーダー品を直してまで着ようとは思わない。中途半端な投資らしい最後を迎えた。

 

当時、流行っていたダブルモンクのバックル外し(黒・茶共に)、ラクダ色のチェスターコート、茶系のネクタイ、茶のドットが入ったチーフ。
当時、購入した物は今に比べるとどれも安物である。当時はそんな本格的な物は変える勇気もなく、「それらしく見えるもの」で十分だった。
そこまで目の肥えた人も周りにはいなかったし、当時の仙台にはショップもそれ程ない(今は知らない)。
ただ、この装いとちょっとしたドレス服への知識が、自分の人生の大きな分岐点となったと思う。

 

建築設計という職業柄、「センスのいいモノを設計してくれそう」という先入観を植え付けるには装いは大切なのは言うまでもない。社内のコンペでもそれなりに評価もしていただいた。
そして、4年前の冬に「東京に来ないか」という誘いがあった。本社かどうかはわからない。
図面を書くスピードには自信があったが、学歴は無く、建築の知識にも自信がない。
震災需要で潤ってから4年程経過し、復興と共に仕事は減少。仙台にいて諦めるよりだったらと思って、その話は受ける事にした。
配属部署は新規事業。取締役直下。4月の出勤時は東京の某支店だったが、初日の面談日に身なりを誉めらたのは覚えている。人間関係でも繋がりがあった事を知り、
独身で身軽だった事もあり、仕事が終わった後も飲みに連れ行ってもらったりと随分可愛がってもらった。
公には4月付の辞令は支店配属だが、実際には本社の仕事。
5月には勤務先は支店だが、配属の部署は本社という曖昧なボジションとなった。