会社員の服選び。時々スキー from TOKYO

中高年への極私的服選び+ライフスタイル提案blog

「クラシック」という言葉は一般社会に届くのか?②

怒り心頭のまま、その日は赤峰さんに連絡しました。

「服の事で上司に怒られました」と。

 

確かに、尖がって、小剣長くしたり、ダブルモンクのバックル外していましたが、ここ数年の風潮や先人の着こなしでそれはクラシックの外しの中では許容の中ではないかと。

 

本来、クラシックスタイルはファッションではないものとして自分は捉えています。

抑制のあるスタイル=クラシックスタイルとして、その中の自分なりの外し技や実用性が経験の中での独自性として認められるのではないかと思います。

フランコ・ミヌッチのネクタイの撒き方。ジャンニ・アニェッリの時計の付け方、ドライビングシューズやブーツを合わせるスーツの着こなし、チュールズ皇太子のスーツの袖へのクリース。全てその方の背景に意味があるから世間に認められる。

真似ただけの(例えばセレクトショップの店員やバイヤー)方は尖って見える。抑制の中での楽しみには見えない=ファッションに見える。

 

「そんな服装したいなら休みの日に着るか、服飾業界にでも就職したら?」

 

世間のクラシックスタイルの認識とはこの程度かと思いました。

本来、クラシックスタイルの定義にテーラーも百貨店もセレクトショップも一般企業のスーツを着て出勤する会社員も国会議員も変わるはずがないというのが俺の意見。

そしてその抑制の中で住んでる地域や季節、職種で独自性を出していけばいいと思っています。多分、「外し技」ではない自然な自分の色が生まれると思います。

自分はまだまだそこの領域まで達してないのが妙に悔しいけど、まだまだ40代半ば。

まずは抑制の中の着こなしを咀嚼しなければいけない時期はまだまだ続くのかなと反省してます。